横浜教区福祉委員会は、障害について学び認識を深め、交流するための集いを下記の通り開催します。
日 時:2024年6月8日(土) 10:00~16:00
場 所:カトリック茅ヶ崎教会(神奈川県茅ヶ崎市中海岸1丁目1-15)
内 容: 9:30 受付
10:00 講話
11:30 昼食(主催者側で準備いたします)
12:30 わかちあい グループにわかれ講話の内容などをもとにわかちあいます。
14:30 手話ミサ 司式:梅村昌弘司教
駐車場:スペースに限りがあります。障害者の方、障害をお持ちの方を同伴される車を優先させていただきますので、出来るだけ公共交通機関をご利用ください。
申込締切り:5月7日(火)厳守
申込先:横浜教区福祉委員会(カトリック沼津教会内) FAX:055-934-2734
※申込み用紙は各小教区で入手していただくか、下記のPDFをダウンロードしてください。
PDF障害共に歩む集いin茅ヶ崎(申込書)
問合せ:場所・交通機関について➩カトリック茅ヶ崎教会 TEL0467-82-2333
内容について➩横浜教区福祉委員会(カトリック沼津教会内)TEL 055-931-2864
e-mail:catholicyd.welfare2024@gmail.com
共催:横浜教区福祉委員会・神奈川第六地区
「若い人が教会に居ない」って本当?小さかったあの頃、親と一緒に行った日曜日の教会。あの頃の友達は最近どうしてるのかなぁ?大人になって初めて出会った信仰。
教会でなかなか同世代の人に会えなくて…よく聞きます!でも…実は教会にはたくさんの青年が居るんです!自分の教会、地域、全国で信仰を中心に青年たちは出会い、どんどんつながりを深めています。そしていつも新しいつながりを歓迎しています。
カトリック青年連絡協議会(横浜教区)
カトリック青年連絡協議会 (@pr_catholicyouth)
カトリック青年連絡協議会広報委員会
横浜教区青少年委員会は下記の通りプチ高校生大会を合宿形式で開催します。
日 時:日時:2024年5月3日(金・祝)~4日(土・祝)
会 場:カトリック中原教会(川崎市中原区今井町南500)
対 象:高校生
参加費:4000円
主 催:横浜教区青少年委員会
担当司祭:鈴木真神父 (山手教会)、保久要神父 (横浜司教館) 、谷脇慎太郎神父(横浜司教館)
申 込:
こちらから
締め切り:4月27日(土)厳守!
問い合わせ:教区青少年委員会 E-mail: youth3yokohama@gmail.com
詳しいご案内はこちらのPDFをご覧ください↓
2024横浜教区プチ高校生大会パンフレットPDF
2024年度の募集要領を、横浜教区内の小教区・修道院に配布予定です。。
詳細、申し込みについては平塚教会事務室までお問合せ下さい。
※サポートチームの研修会・講座に関して、教区事務局への直接のお問い合わせはご遠慮ください
共同宣教司牧サポートチーム神奈川ウェブサイト
信徒・修道者・司祭による共同宣教司牧 交流会・養成研修会 2024年度研修 一覧
リンク:バチカンニュース
リンク:Vatican News(Youtube)LIVE
教皇フランシスコは、2024年4月の祈りの意向をめぐり、ビデオメッセージをおくられた。~女性を尊敬しましょう。女性の尊厳と基本的権利を尊重しましょう。そうしなければ、わたしたちの社会は前進しません。祈りましょう。女性の尊厳と価値があらゆる文化で認められ、世界各地で女性たちが被っているさまざまな差別に終止符が打たれますように。(抜粋)
教皇フランシスコは、4月4日、諸宗教対話をテーマとするミーティングの参加者らとお会いになった。この対話の集いは、教皇庁諸宗教対話省と、カザフスタンの世界伝統宗教指導者会議、同国議会上院、ヌルスルタン・ナザルバエフ・センターとの協力で行われた。~教皇は、カザフスタンが誇る宗教・民族・文化の調和こそ、わたしたちが育て支えるべきものと述べ、特にその調和を作り上げるために必要な要素として、「多様性の尊重」、「環境に対する配慮」、「平和の推進」を挙げられた。教皇は、政教分離国家の健全な世俗主義とは、宗教と政治を混同しないだけでなく、両者それぞれの善を見分け、共通善への奉仕において、社会での宗教の基本的な役割を認めることができるものでなくてはならない、と指摘。こうしたことをもふまえ、平和と社会の調和は、民族・宗教・文化の多様な構成要員の平等な扱いによって生まれるもの、と強調された。(抜粋)
謁見中の「悪徳と徳」をめぐるカテケーシスで、教皇は、枢要徳の一つ、「正義」の徳を取り上げられた。~「カトリック教会のカテキズム」では「正義」をこう定義している。~正義は大きなところにも、小さなところにも働く徳である。それは裁判所の法廷だけに限らず、わたしたちの日常生活をも正確づける倫理である。正義は他者との誠実な関係を築く。それは、「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである」(マタイ5,37)という、キリスト者がいかに話すべきかについての福音書の教えを実現するものである。~「正義とは、神と隣人とに帰すべきものを帰すという一貫した堅固な意志によって成り立つ倫理徳です」(n.1807)。~「カトリック教会のカテキズム」では「正義」をこう定義している。「正義とは、神と隣人とに帰すべきものを帰すという一貫した堅固な意志によって成り立つ倫理徳です」(n.1807)。(抜粋)
カトリック教会の暦は、「復活の主日」の翌日、「天使の月曜日」とも呼ばれる「復活の月曜日」を記念した。~「喜びの分かち合い」は、わたしたちが幼い頃から学ぶ素晴らしい体験である。学校で良い成績を得てそれを両親に見せたくてたまらない少年、スポーツで最初の目標を達成した青年、子どもが生まれる家庭などを考えてみよう。言葉に言い表せないほどの幸せを、それでもすぐに皆に知らせたかった時のことを、各自で思い出してみよう。~復活の喜びは、遠い何かではない。それはごく身近にある、わたしたち自身のものである。なぜならそれは洗礼の日にわたしたちに授けられたからである。~イエスは尽きることのない喜びの泉だからである。ならば、復活されたイエスを、聖体の中に、赦しの中に、祈りや愛徳の実践の中に、急いで探しに行こう。喜びは分かち合うことで大きくなるからである。復活の日、復活された御子のために喜ばれたおとめマリアよ、わたしたちが喜びあふれる証し人となれるようお助けください。(抜粋)
カトリック教会の典礼暦は、3月31日(日)、2024年度の復活祭を迎えた。~御子の復活においてわたしたちに与えられたいのちを祝うこの日、わたしたち一人ひとりへの神の限りない愛を思い出しましょう。その愛はあらゆる限界、弱さをも超えるものです。それにもかかわらず、尊いいのちの賜物がどれだけしばしば軽んじられていることでしょうか。どれだけの子どもたちが生まれて光を見ることすらできないでいるでしょうか。どれだけの人が飢え死に、基本的なケアも受けられず、搾取と暴力の犠牲となっているでしょうか。どれほどのいのちが売買の対象となり、人身取引を拡大させているでしょうか。~復活の光がわたしたちの精神を照らし、心を回心させ、受け入れ、守り、愛するべき、すべての人のいのちの価値を認めさせてくださいますように。皆様に、主のご復活のお喜びを申し上げます。(抜粋)
若者をテーマにした2018年のシノドスの成果を経て、教皇フランシスコの使徒的勧告「キリストは生きている」が発表されてから今年で5周年を迎える。教皇はこれを機会に世界の若者たちにメッセージをおくられた。~その中で教皇は、「キリストは生きておられ、あなたがたに生きて欲しいと願われます」というメッセージを喜びに満ちた確信と共に繰り返された。多くの紛争や苦しみに満ちた今日の国際情勢において、たくさんの人々が意気消沈している時、教皇はこのメッセージを通し、若者たちの心に再び希望を灯すことを望まれた。「キリストは生きておられ、あなたを限りなく愛しておられます」と教皇は一人ひとりに呼びかけられた。~教皇は若者たちに「皆さんは歩む教会の生きた希望です」と述べ、青年たちの良い意味でのにぎやかさや刺激、復活されたキリストの喜びを生き、告げるための独創的な方法が決して欠けることがないようにと願われた(抜粋)
賢明な人は、過去の記憶を守ることができる。それは未来を恐れるからではなく、伝統は叡智の遺産であることを知っているからである。同時に、賢明な人は、先を見通す人である。目標を一度定めたならば、そこに到達するためにあらゆる手段を考える必要があるからである。~福音の様々な箇所が、わたしたちが「賢明」を学ぶことを助けてくれる。~キリスト者の生活は、単純さと賢さを両立させたものである。イエスは弟子たちを派遣する際に言われた。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10,16)。神はわたしたちに「聖なる者」になるだけでなく、「賢く聖なる者」となることを望まれる。(抜粋)
神にとっての栄光とは、人間の成功や名声、人気とは一致しない。それは、自己顕示や、人々の拍手を浴びる偉大なる権力の誇示ではない。神にとっての栄光とは、命を差し出すまでに愛することである。神にとって、栄光を受けるとは、自らを差し出すこと、近寄りやすい者となること、愛を与えることである。~ここで自問しよう。わたしは自分と、自身の人生、未来に、どのような栄光を望んでいるだろうか。自分の優秀さや能力や持っている物で人に感銘を与えることだろうか。それとも、十字架上のイエスと同じ、与え、赦す道、愛し抜き、神を世に証しし、命の美しさを輝かせることに信頼する道だろうか。事実、わたしたちが与え、赦す時、神の栄光が輝くことを忘れてはならない。イエスの御受難の時まで御子に信仰をもって従ったおとめマリアよ、わたしたちがイエスの愛の生きた反映となれるよう助けてください。(抜粋)
教皇フランシスコは、福音宣教省の世界宣教部門の関係者らとお会いになった。~信仰の伝承が途切れることがないようにと願う教皇は、家庭や、教会で信仰育成に携わる人々との絆を強めると共に、若いカテキスタを育て、「教会のカテキズム」をより普及させるなど、要理教育に力を注ぐことを希望された。また、教皇は来年迎える2025年の聖年に言及。来たる聖年が希望の力を浮かび上がらせる年となるようにと期待された。さらに、教皇は聖年の開催に備え、使徒的書簡を近く発表すると予告。この書簡が、多くの人々にとって、「希望を具体的に生きる」ということについて考える助けになるようにと望まれた。そして、教皇は聖年に先立つ今年は「祈りに捧げる年」であることを忘れないようにと述べつつ、聖母や聖人たちの教えから学び、まず自分たちからよりよく祈ることを始めようと、福音宣教省の関係者らを招かれた。(抜粋)
イエスは常に、言葉は少なく、言葉に続いてすぐに行動することが多い。~イエスの姿を思い、イエスに似た者になろうとすることは、どれほどわたしたちのためになることだろうか。また、言葉は控えめだが、行動においては寛大である人、目立つことを嫌がるが、いつでも人の役に立つ心構えができている人、相手に深く耳を傾け、効果的な助けができる人、こういう人たちとの出会いを考えてみよう。人間関係が希薄な今日の世界に、こうした具体性は重要である。~ここで自問しよう。わたしは人々に耳を傾け、彼らの願いに快く応えることができるだろうか。それとも言い訳を主張して、先に延ばし、抽象的で無用な言葉の後ろに隠れるだろうか。孤独な人、あるいは病気の人を最後に訪ねたのはいつだっただろうか。助けを必要とする人のために、自分の予定を変更したことがあっただろうか。機敏に配慮される方、マリアよ、わたしたちが愛において速やかで具体的になれるように助けてください。。(抜粋)