2026年2月の教皇の祈りの意向は、「難病の子どもたち」をテーマに、次のように祈る。~「難病の子どもたちとその家族が、必要な医療と支援を受けることができますように。そして、力と希望を失うことがありませんように」。~ビデオの中で、教皇レオ14世は、バチカン市国内のサン・ペレグリーノ教会に入られ、ローマの小児科総合病院バンビーノ・ジェズ病院の小さな患者たちが描いた絵を手にしながら、祈りを捧げられる。(抜粋)
教皇による祈り
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
主イエスよ、
子どもたちを御腕に抱かれ、優しさをもって祝福された方よ、
今日、難病を抱えて生きる子どもたちをあなたに託します。
彼らのか弱い体はあなたの現存の証し、
彼らの笑顔は、苦しみの中にあっても、あなたの御国の証しです。
主よ、子どもたちに適切な医療支援が決して欠けることなく、
人間的な寄り添う治療と、
愛をもって見守る共同体の支えが与えられますように。
疲れと不安の中にある、
彼らの家族を希望の中で支えてください、
そして試練の中で強まる信仰の証人としてください。
医師、看護師、医療従事者たちの手を祝福してください、
彼らの仕事が常に積極的な思いやりの表現となりますように。
あなたの霊があらゆる困難な決断において彼らを照らし、
尊厳をもって奉仕するための忍耐と優しさをお与えください。
主よ、苦しむすべての子どもたちの中にあなたの御顔を認めることを教えてください。
彼らのか弱さがわたしたちに思いやりを呼び覚まし、
具体的な連帯の行いをもって、
彼らを気遣い、支え、愛するよう促しますように。
あなたの御心の思いに駆り立てられ
祈りと奉仕によって動く教会を
わたしたちにお与えください。
教会が、弱さを支え、
苦しみの中で、慰めの源、
希望の種、新しいいのちの知らせとなりますように。
アーメン。
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神との交わりと全人類一致の秘跡としての教会 2026-02-20
教皇は、「第二バチカン公会議の諸文書」を主題とするカテケージスにおいて、新たに『教会憲章』(Lumen gentium)の考察に入られた。そして、その第1回目として、「教会の神秘―神との交わりと全人類一致の秘跡」をテーマに講話された。~目的は、イエス・キリストの和解のわざ、すなわち十字架上の死によって実現されたわざによって、すべての被造物を一致させることです。この一致は何よりもまず典礼を祝うために会衆が集まるときに体験されます。典礼において多様性は相対的なものとなります。すなわち、重要なのはともにいることです。なぜなら、わたしたちは個人と社会集団の間の隔ての壁を打ち砕いた(エフェ2・14参照)キリストの愛に引き寄せられるからです。~第二バチカン公会議は『教会憲章』の冒頭で次のように述べるのです。「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具である」(同1)。公会議は「秘跡」という用語の使用と、それに続く説明によって、教会は人類の歴史において神が実現しようと望まれることの表現であることを示そうしています。(抜粋)
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「耳を傾ける、断食する」2026年度四旬節・教皇メッセージ 2026-02-13
教皇レオ14世の2026年度「四旬節メッセージ」のテーマは、「耳を傾ける、断食する。回心の時としての四旬節(仮訳)」。このメッセージを通し、教皇は「言葉の武装解除」や、優しさを育むといった、「具体的な節制」の形を勧めるだけでなく、神のみことばと最も恵まれない人々の叫びに耳を傾け、自分たちの共同体において、苦しむ人々を共に温かく迎え入れるようにと願われている。~教皇は、四旬節の恵みによって、神と、最も恵まれない人々により注意深く耳を傾け、断食の力によって、人を傷つける言葉を減らし、他者の声をより受け入れられるようにと祈られた。そして、わたしたちの共同体が、苦しむ人々の叫びを受け入れ、傾聴によって解放の歩みを生み出す場所となれるよう、また、愛の文明を築くためにより貢献できるよう、皆の努力を励まされている。(抜粋)
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「真福八端の福音は、主が歴史の暗闇にともした光」 2026-02-02
真福八端はわたしたちにとって幸福の試金石となります。それはわたしたちに自問させます。自分たちは幸福を金で買う成果とみなすのか、分かち合われるたまものとみなすのか。幸福を消費される対象のうちに置くのか、自分たちに同伴する人間関係のうちに置くのかと。実際、試練の苦しみがあがなわれた者の喜びへと変えられるのは、「キリストのために」(11節参照)、すなわち、キリストのおかげです。イエスは、遠く離れた慰めについて語るのではなく、とくに苦難のときにわたしたちをつねに支えてくれる絶えざる恵みについて語るのです。 真福八端は、身分の低い者を高く上げ、思い上がる者を打ち散らします(ルカ1・51-52参照)。それゆえ、いつの世の人も幸いな者と呼ぶ、主のはしためである、おとめマリアの執り成しを願い求めます。(抜粋)
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